“フクシマ” がこれからどうなってゆくのか先の見えない中、
チェルノブイリ原発事故からもう25年もの歳月が流れてしまった 。
いまだ現地で苦しんでいる多くの方々を想う。
◆今日、かつて某雑誌に寄せた記事の原稿をそのままここで掲載してしまおう。
時効も過ぎたことだし・・・(あの雑誌、おそらく日本で手にすることが出来た方々、せいぜい1万人程度だろうし、なんてったって写真が良かった)
*************以下「ベラルーシ幻想(「ミンスク夢幻」より)**************
「・・・バビロンから遠く離れて・・・」
・・・弱き者たちのみが、さらに弱き者たちの、
行動の伴った真の理解者となりうる・・・
アンドレィ・タルコフスキー(ソヴィエト映画の神様)
・・・絶対的な美という抽象概念は、時代や環境に左右されることは決してない。と言ったのは、中世に生きた名もなき絵描きだが、私もそう思う。
『序』
2004年9月2日。ベラルーシ時間A.M2時28分の早々朝。
数時間遅れでウィーン経由チロリアン・エアバス685便は首都ミンスク郊外の広大なスラヴィック平野に降り立った。
空港で私を出迎えてくれたのは、インツーリストのならず者でもなければ、顔に$マークが点滅してる廃墟の街にギラつくチープなネオンのようなZ級コールガールでもなかった。
空港の外でウェルカム・ボードを他に誰もいないのに精一杯両手で掲げ、私の遅れ過ぎた到着にイヤな顔ひとつ見せずに出迎え、荷物をテキパキとトラバント風オースティン・ミニの後部座席に運び入れてくれたのは、ベケットやハヴェル氏の芝居に必ず出てきそうなフェリーニ映画のボサボサ頭のロマ少年。
彼が操るヒップでビップなその車は、ホテルまでの真夜中のハイウェイをかっ飛ばす。
その間、私はすでにとんでもなく厄介な仕事を引き受けてしまったことに気づく。
先に告白しておこう。この度の「ベラルーシの美」を紹介する取材旅行にて、読者を十分納得させることのできる結論たるもの、遠くていまだ遠い国ベラルーシが抱え込む、良くも悪くも解釈できる “素晴らしい魅力” について、私は語る術を知らない。
創刊第二号にしていきなり『美女のルーツを求めて』なんて特集を組んだ旅雑誌の編集長には、ただただ呆気に取られるばかりだが、まあよしとしよう。思ったより高くついたバジェットはすべてアチラ持ちだし、ギャラだってそれほど悪くはないのだ。
こうなったらヤケッパチ。徹底的に中途半端でディープな論考をバロウズではないが、あくまでもカットアップ追憶してゆこうじゃないか!
私が記憶している、東欧革命とソヴィエト崩壊直後の、あの、なんでもありの混沌時代の狂乱は、すでにもう過去の歪な遺産となっているのは、意識の上では十分承知していた。
が、プーチン・ロシア主導の国民監視社会主義という後退懐古悪趣味に唯一巻き込まれかけているベラルーシは、再び東西を奇妙に隔てる不可視の壁の中に入ってしまった……とまあ、そういった偏見を日本出発直前、何者かに警告されるがごとく植え付けられたのだが、それが逆に功を奏し、はじめから幻滅していた私に透き通るような新鮮な西風とノスタルジアの灰煙が、私の毒された肺を満たしてくれたってわけだ。
*
「プシュキンスカヤ」という、偉大なる詩人プーシキンから取られた、おそらく本人とは縁もゆかりもない名を冠したその地区に、指定されたホテルはそそり立っていた。
九階の窓の、やたらとセクシーなカーテンを勢いよく開くと、そこには灰色にくすんだレインボー・ダークのスカーフにミンスクの町がすっぽりと包まれ、東の地平からはもうコミュニスティック・ブルーの夜明けのサインが、淡い光と共に銀幕のような窓の片隅で控えめな主張をしている。
私はすでに長旅の疲れを通り越し、体内の水分90%がもだえ、すぐにでも睡魔だかソーマの媚薬だかにこの無防備なカラダを素直に明け渡したかった。
数時間後、正確にはその日の朝9時キッカリからスタートする、編集部にまんまと企まれ丸め込まれた取材スケジュール濃密度表がビッシリ立ち構え、カッチリ待ち構えていることも忘れ、窓の外を眺めながら久しぶりのデジャヴーと不可思議なノスタルジアの罠にからめとられていた。
それは筆者が十数年前の東欧革命とソ連邦崩壊直後に訪れた、あの、モスクワやルーマニアの地方都市の、いまではとっくに失われてしまった特殊な空気。
かの地のどこかに住んでいた当時の自律細胞中枢部に眠っていた記憶……
“あの空気と匂い” が、いまだミンスク市を包み込んでいたかもしれないし、もっと個人的な見解になってしまうが、「未完と後退の美」、あるいは、「中途半端の美学」という、この国のステキな側面を直感的に感じ取ってしまい、センチメンタル・フラッシュバック……
それらが私の琴線にふれてしまったのかもしれない。
いや、たぶんこれは私の誇大妄想的偏見と時差ボケからくる単なる想い込みであろう。たぶんそうだ。
そう少々強引に解釈して目覚まし時計を二時間後にセットすると、すでに防備されてしまった憐れなカラダをタチの悪い睡魔に無償で提供すことにした。
ところで、寛容なる読者貴殿下貴婦人の方々。「あの世界」と言われても “あの世界” を実際に五感すべてと第六感を飛ばした七感と発汗作用の、言葉にすることが許されていない領域に存在する、あの独特な感覚を一度も心体感したことのない方には、こんな抽象的な説明ではピンともキリともこないだろう。
故に、この企画の “ベラルーシの部” は「あえて」ポジティブな意味における完成度の低さと独自性のなさと、添文の中途半端さを際立たせ、そこから少しでも「ベラルーシならではの独特な……」に続く “なにがし” が、どれを取っても食ってもつまんでも独特でもなんでもないという事実……
ベラルーシならではの(逆説的)独特な云々を多少でも理解して頂けるなら、私だけでなく、現地で惜しみない協力と(秘密警察にマークされてしまうという)リスクを伴う援助の両手を差し伸べてくださった多忙なるR女史と(国民が公言できない情報や本音などを都市郊外の原生林奥深くで熱意を込めて代弁してくださった)E女史の勇気ある清純さがむくわれるであろうか……。
“美女?”
べつにベラルーシなんかじゃなくたって世界中のすべての国には必ず美女はいる。
しかし、どうゆうわけか世界とは理不尽なもので、ある特定の土地にそれは集中して存在したりする。
もちろん、混血を幾度も繰り返してきた結果、普遍的な美しさを兼ね備えるようになった、という凡論を持ち出すこともできるが、この号ではそんなチープな論法は無視させていただく。
私がここでおこがましくも書かなければならないのは、なぜベラルーシという、ある種、特殊で曖昧な土地に住む女性たちが、内面から滲み出てくるストイックで誠実な精神美を、そのまま理想的なかたちで素顔に反映させることに成功しているのか、ということ。
ついでに、稀に見る美女だらけのこの国で私が感じた、率直で主観的で少々自分勝手な意見のオンパレード。
美女街道をつっぱしるオン・ザ・ロードな旅路での考察……。そんなところだろうか……。
まず、このステキな特集のテーマから少し逸脱してしまうが、この国「ベラルーシ」について何かを語るにあたり、避けては通れない基礎知識、歴史的・地理的、そして経済的背景を少しばかし述べておかねばならないだろう。先に述べたように、あくまでもカットアップなやり方で列挙してゆく。
最初に、このベラルーシという国は、ヨーロッパの中でも稀にみる情報操作国家であり、かつてのKGBまがいな国家保安局の諜報員がうようよしているということを念頭に置いて読み進めて頂きたい。そんな事情柄、ディープな取材をするには膨大な時間と資金と、タフで高慢な交渉術とオトボケが必要である。
なぜ故にこの国がそんな特異な状況下にあるかと考察するなれば……まあ、ニシとヒガシの間に置かれたクッションとして、スケープゴートされっぱなしの歴史持つニヒルな伝統故か。あるいは、ベラルーシ人の過剰なまでの寛大さと、愛国心より知的好奇心に重きを置くイカした国民性にうまくつけ込んでいる……ひとり芝居的自作自演戦争好きの元エリート・スパイ……プーチン氏による策略か内政干渉か、知ったこっちゃないが……。
『大国のツケを静かに払いつづけている国』
日本人や他の無機質先進諸国の住人にとって、あまり馴染みがないであろうこのベラルーシという国は、地理的に冷戦時代にはソヴィエトの場末と位置づけられ……
ソヴィエト崩壊後には最も資本主義レースに乗り遅れた、西でも東でも北でもない“どこでもないどこか”にある、いたってファジーな国と認識され……
EU再強化時代には、その存在自体ムシされ……
21世紀が幕を開けた頃には「たしか、あのチェルノブイリの近くにあったロシアの自治州かなんかだっけ?」ならまだしも、「スター・ウォーズに出てくる謎の惑星だろ?」……「クスリでいっちまったブルース・ブラザーズのかたわれで、サタデー・ナイト・ライブでブレイクした伝説の……」etc……と、
救いようのないまでの認知度。歴史にその名が登場する頻度のあまりの低さ。
なぜだろうか? でも、そんな謎といてゆくという企画ではないので、大胆な割愛に御理解を……。
世界が無視しつづけようが、それはそれでしかたがない。しかし、当のベラルーシでは、EU本部が東へ東へと触手をのばした結果、
「とうとう我々の国は、地理的にも文化的にも真にヨーロッパの中心になったのだ!」と、妙にうなずける発言が飛び出しはじめ、日本を含めた欧米諸国の多少は地理や世界史に明るい人間の中には、
「そう言われりゃ、確かにそうだよなぁ……」とつぶやいた方々もおられることだろう。実際、ポルトガルのロカ岬から、ロシアをぶった切るウラル山脈までが一ページにおさまった地図をどこかから引っ張り出して御覧頂きたい。
(注)現在、「ヨーロッパ」と便宜的に言われている土地は、西はポルトガルのロカ岬、東はシベリア地方を切り離したウラル山脈、北はもちろんラップランド、南は地中海から黒海へとつづくクリスチャン・ベルト、ということになっているの。そうすると、ベラルーシ国がヨーロッパのハートに位置していることは一目瞭然。
その昔、現在ベラルーシがある地区は、文化、民族、交易の十字路だった。
その後、中世から今日にいたるまであらゆる民族に蹂躙され、煉獄街道まっしぐら。20世紀にはソヴィエト対ドイツ戦の主戦場と化し、寛大寛容な民族性ゆえ無数のユダヤ人をかくまった功績に対する御褒美は、ナチス・ドイツによる大虐殺。
戦後は同胞でもあるモスクワの重鎮たちからも見放され、冷戦時代には良くて西と東のエアマット。
あの、チェルノブイリでの大惨事では、放射能が「中央」のモスクワまで流れてこないよう、人工降雨剤がベラルーシ南部の上空にばら撒かれ、肥沃な国土は半永久的に汚染され、ソヴィエト崩壊後も各国メディアのほとんどは、厄介だからと見ざる聞かざる言わざるのボケ猿音頭。
経済破綻という深刻な危機に瀕している他の発展途上諸国と比べたとき、ベラルーシに関して言うなれば(これこそが独特なき独特なのだが)経済大国に必要以上の援助を求めようとしないスタンスとセンスに旅人は感動してしまう。
それはルカチェンコ大統領というプーチン・ロシアのイエスマンになってる国家元首の功罪に起因するのだが、それについて述べると原稿料カットという憂き目を見る。なんてことはないが、このイカした雑誌で私の名前を見ることは今後まったくなくなるだろう。そんなことより、さっさと先へ進もう。
ベラルーシ……
かつて「白ロシア」として知られた独立国家のボスの政策のみを見てこの国を判断することは、ビン・ラディンを引っ張り出してイスラム教徒を理解するのと同じくらい幼稚である。が、日本政府はいまだベラルーシといえば知能指数マイナス38.9度の独裁者ルカチェンコと、同氏の下で揉め事もなく、クーデターも起こさず、おだやかに暮らしている国民を同一視している有様(最近、実質的独裁政権に対する大規模なデモが首都ミンスクで幾度か行われたが、そんなことはとっくに忘れていることだろう。北朝鮮ほどではなにしろ、国内の情報がほとんど入ってこない国なのだから)。
しかし、次のような現実を見逃してはならない。
というのは、食っていくので精一杯の国民は、政府がノー! ノー! ノー! と連発しているのも尻目にチェチェンからの難民や、北オセチアからの避難民を快く受け入れ(「どうせ息子が出稼ぎに行ってて空いてる部屋があるんだから、自由に使いなさいよ」)、その他マイノリティーに対するシンパシーの濃厚さ。暗すぎる過去を持つ人種特有の反動的国家再建への意欲のなさ。周辺諸国すべてがヘビー級クラスのアルコール現実逃避王国で(ロシアとポーランドの皆さん、ごめんなさい)ドラッグ・パイプラインを率先して裏導入しているっていうのに(リトアニアの皆様、申し訳ありません)ベラルーシ市民は、いたってシラフでクールでいるという現実。
もちろん、これらに対するもっともらしい回答やタネあかし、一般論の領域を決して出ることのない無難な理由はちゃんとあるのだが、私は筋道のしっかりした理論でかれらを理解したつもりにはなりたくないし、読者各位にもそう簡単に「ああ、なるほどね」なんて安易に分かったフリなどしていただきたくはない。
では、いったい私はかの地で、何を見てきて、何を言いたいのか。
何を感じ、何に対して敬意を示し、何に心を奪われたのか。
多分に語弊があるのは承知の上で結論させていただくと、卑屈なプライドや愛国心などをはるかに超越し、人生の理不尽に対する苦悩を凌駕した世界観。
そして、国民ひとりひとりが持つオリジナリティーとバラエティーに富んだ凄まじい個性。それに尽きる。
一部の比較人類学専門家や、ロボトミー処置の必要な民族学者の大先生を憤慨させてしまうかもしれないが、ベラルーシという国に住む人々ひとりひとりの中には、一風変わった確固たる美学が存在している。
現実から決して目を背けることなく、同時にこの現実が一部の愚かな人間たちが勝手にでっち上げた虚構であるということもちゃんと踏まえ、そんなナンセンスな現実を前にしながらもネット連れション自殺などせず、慎ましさのなんたるかを知り、他国の人間がモノやカネに目が眩んで自己破産婆さんにお世話になったり地位を守ることに固執し執着駅で冷や汗かいてる間に、個々が天から与えられたミッションと個性を守り抜くことに専念し、生活苦にあえぎながらも自分たちより苦境に立たされている人々を助け、受け入れているんだ。
故に日本語に翻訳不可能な「コンパッション」と「グレース」が実態をともなった美しさとなって、国民ひとりひとりの精神的豊かさと人類稀に見る寛容さが、この情報化根悪社会の中でしっかり守られているのではないであろうか。
そのおかげか、自由主義経済という仮面をかぶったヤクザな資本主義大国のターゲットにならずに済んだのかもしれない。
また、集団としてのイデオロギー国家ではなく、無数の個性と自前の美意識と無尽蔵の知性が織りなす集合体として、手垢足垢のついた土足“観光汚染”をまともに受けることなく(汚染なら、すでにもう“チェルノブイリ”で、払う必要のなかったツケを十分過ぎるほど払っているじゃないか)いま現在において、私が滅多に、そして安易安直に使うことの決してない「神秘」と「秘境」という単語を使用できる数少ない土地のひとつとして存在しているのである。
ベラルーシという、せつなくも美しい国が今後、汚染された大地を永久に背負ってゆかなければならないという事実さえ知ろうとしない「無知」は重犯罪に価するだろう。
我々人類は自然界からのメガヒット級しっぺ返しが来たとき、素直に滅びなければならないのだよ、ということをしっかり覚えておこう。思うに、本当の世界平和とは、人類が滅びたときにはじめてやって来るものだろう……。
フー……、ハナシが暴走し過ぎて、なんだかとんでもないところまでフライングしてしまった、が、暴走ついでにもう一点。
20世紀が生んだ、ベラルーシ地区にルーツを持つ、偉大で革命的で、新しいものへと脱皮してゆくことを決して恐れず、最も開拓精神に満ち溢れた森羅万象アーティスト、Bob Dylanというマエストロそのひとが、いまだ新たなる前代未聞の表現の境地を模索しつづけているのと同じように、採算など考慮に入れず、浮世を超越しているかれらは、我々にとって反・反面教師である(飛躍し過ぎたセンテンスの濁流に読者諸君が目をつぶってくれることを願おう)。
『バビロンから遠く離れて・Again』
そして、ふと、筆者はあらためて思う。そもそもこの国の美女たちについて何かをニッポン語で書き、読者に押し売りする必要性などないのかもしれない。
超然とし、気品があり、我々の国とは比較にもならない調和のとれた知性と感受性と妖艶な前衛性。そこから自然に滲み出てくる美しさは、隣接する他の親戚国だけでなく、アメリカや日本や西欧諸国といった先進デシャバリ大国が大量生産する「クローン美女」からかけ離れている。と言うより、レベルのまったく違うプライマリーな美しさ。
世界がとっくの昔に失ってしまった無欲で“足るを知る”という、この時代に最も必要な(達観した悟りの境地とまで言ってしまおう)無意識の美学。この稀に見る奇跡的な国民の中に、あまたの美女たちが颯爽と風を切って浮遊していることは、必然である。
おっと、結論を述べてしまった。
もとい、なぜ、あの救いがたい程あまたの困難を抱え持つベラルーシという土地には、なぜあれほどまでに楽観的な人々が多く、繰り返しになるが、他の親戚カントリーのロシアやウクライナと決定的なまでに違うストイックな魂、ゆるぎない誠実さ、そしてカウント不可能な美女たちの残光が当たり前のように存在しているのだろう……。
答えを出してしまう前に私には、まだ嫌々ながらもやらなければならないことがあった。
「モデル養成学校」なるものへの取材だ。
美女がさらに美女になるべく日夜努力している極秘の練習場所への侵入だ。場所はまるで映画「サタデー・ナイト・フィーバー」の張りぼてディスコ・セット。
もちろん、そんな場所に“美女のルーツを探る”だとかいうブッ飛んだ企画に貢献できるヒントなんぞ皆無に等しいのは百も千も承知であったが、編者の異常な愛と要望でどうしてもリポートせなあかんかった。
そこでまず私が目にしたものは、部外者が何をしでかすか常に監視している助平で暇なゴースト保安局員と、過剰な疑心暗鬼にパラノッたモデル養成学校の重役たち。さらに、そんな環境の中で緊張し、小糠雨に凍える子犬のような夢見るモデル妖精スクールのニンフェットたち。
その場の尋常ならぬ空気を最小限に抑えるために、ひと肌脱いでサルサを踊ったけなげな筆者(泣)。それが功を奏したかどうか知らぬが、どうにか彼女たちにあるがままの姿を演じてもらえた。
ただ、本当の美しさは心の美からしか生れ出ないと囁く修道女の幻聴に悩まされ、おまけに街中の燐とした女性たちの私生活を覗き見しているような気分になったりして、何もわざわざ……こんな取材しなくたって、と自己嫌悪。
そして私はふと思い出す。真夜中のサーカス劇場の真向かい。
そこにある公園。公園の入口から少し入ったところに立つ、ベラルーシを代表する国民的叙情詩人、ヤンカ・クーパラの巨大なブロンズ像。
初めて私が夜、そこを訪れたとき、あまりの威圧的ドスグロさのおかげで、かつてソヴィエト全土を支配した独裁者の暗い影をイメージしてしまった。
次の日、若干16才のオルガ・シェレルという名の少女。
モデルとして世界的成功を約束されたかのようなラッキーなニンフェット。
由緒正しい良家のそのサラブレッド・モデルと共に訪れたとき、なんとも言えぬ詩心をくすぐるような瞳で私にクーパラの話をしてくれたひととき。
そしてその後、川縁で見た地方から来たとおぼしきハネムーンのふたり。
かれらを背に拙い英語で以前見た夢の話をしながらポーズをとっておどけてみせる、我が被写体。
彼女がごく自然に口にする独自のグローカルな世界観と、閉鎖されたこの社会への問題意識。そして、とっておきの個性とキュートな自負心と知識とユーモアとアイロニーの織りなす北国のタペストリー。ニッポン社会主義資本搾取チンピラ国のバービー・ガールたちの織りなす賞味期限付きの使い捨て悪趣味タペストリーとついつい比較してしまった私は、川のほとりを並んで歩くこの北国の少女の魅力と存在感にホールド・アップ。
「わたしの夢? 新聞記者になることかしら」と、腰が抜けるような眼差しでサラリと答える、我が被写体。
ベラルーシという独立国が近代史に再登場する直前に生まれたこの少女は、その存在そのものが、この国のすべてを、レトロリカルに代弁していると言っても過言ではないだろう。
自分の国と、周辺各国における悲しい歴史と現状について独自の見解を述べながら、常に前向きで、それでいてどこか淡々としていて、おのれの美しさに気づいていない振りをしながら、憧れの女性の名前を列挙する、その無邪気さ。
いわくあり気なところが微塵もなく、その瞳は果てしなく透き通った氷山の、その一角。触れてしまったらオシマイの危険な香り……そのまま一緒に海底まで沈んでいっても構わない……そして深海魚にでもなって共食いでもしよう。
オッと、いったい何を書いているんだ? 私は。
メディアでさかんに“美少女”と呼ばれ、まわりからチヤホヤされているミーハーな東京のモデルやタレント予備軍が数万人束になってかかっても、到底、彼女の“作られていない美しさ”を前にしては、醜さのみが浮き彫りになるだけだろう。
これは、オルガという少女についてだけ言えることではなく、ミンスクの街を歩く女性たちの、颯爽とした後ろ姿が醸し出す、ある種の強さとけなげな品位について語るときにも当てはまる。
それは、うわっつらな消費社会に汚染されていないフレッシュネス・マインドと、広漠な大地と、厳しい冬の寒さが与えた氷柱の先端のような危うさからくる透明度が(ちょうど、十勝平野のダイヤモンドダストに霞む、街道沿いのカフェの灯と、そこの女主人が持つ美しさのように)北国の彼女たちを際立たせているのかもしれないし、単に私の「ひねくれ」からくる偏見かもしれない……。
深呼吸して落ち着きを取り戻したこのゴンゾー・ジャーナルシシスト。
いよよ“誌面の都合上”を理由に“まとめ”にハイ&ロウ、もとい、入ろう。
地理的条件と美しき自然に恵まれたこの人口約一千万のベラルーシは、ひとつの国家ではなく、一千万の歩く国家の集合体であって、きわめてグルメで、精神的にリッチで、女はことごとく美しく、男はひたすらダンディで、謎も複雑なトリックも何もなく、単にメンタリティーと時代が他の国々より数十年先を行っているが故に見えにくく、捉えどころがないだけのこと。
日本やアメリカがどんなにポケットのジャリ銭鳴らしても、彼女たちは、いや、かの地の人々は振り向きもしないだろうし、ましてや媚びることなど決してないだろう。
逆に足元みられて皮肉たっぷりのレインボー・ユーモアでカウンター・カルチャー・パンチを一発お見舞いされるだけのこと。
そして……考察と交錯と倒錯はあっけなく終わる。
ベラルーシという“どこでもないどこか”にある国の人々から受けた印象と核心は、私に代わってこの際、客観性を重視するためにも、ぜひあの女の耽美な唇に語っていただこう。あの女の出番だ。
レナ・ラディオン……
27才という若さでベラルーシ大学の比較言語学における権威として在籍しつつ、同時に世界的に著名な翻訳家。セーヌのほとりに散ったプリンセッサ亡き後、世界で最も赤いバラの似合う女をひとり挙げるとしたら、間違いなく彼女だ!
「わたしも含め、ここに住んでいる人たちはね、みんな内面にそれぞれ独自の国家があるのよ。その内なる国家の中でそれぞれの流行があり、規律法律があり、検閲機関があって……ようは個人個人が頑ななまでに“個”でいることに変な自負心があるのよ。でなきゃ、こんな非情なシステムがまかり通るフェイクで悲惨な世界でサヴァイヴしてゆくことなんて、絶対にわたしたちできないから」
2004年9月中旬。ミンスクにて
「レナ。君や君が住むあの国は、俺の住むニッポンっていう先進荒廃国より、時代を数百年ばかし先取りしてたよ。訪れたのが数百年遅過ぎて、俺には何がなんだかサッパリわかんなかったぜ!」
かくして私は、絵描きとして神様の最高傑作である“美女”たちを長年描きつづけてきた(模倣してきた)過去の自分を思い起こし、告解する。
そして東京という札束クレジットと欲望とモノに溢れ、他の国から比べれば不況でもなんでもないけばけばしい虚像にインフルエンスされた虚無感から脱獄するため、この原稿を送ったら、“中途半端な美の探究”への悔恨として、そしてふたたび長い旅路に戻るため、さっさとこの「ホテル・ジャパン」をチェック・アウトしよう。
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以上、「ベラルーシ幻想」より。原文そのまま。
2004年
文責:丸本武(Takeshi Traubert Marumoto)